満洲日記

今年88歳になる従姉妹の満洲で生まれ引き揚げて来るまでの記録です。

1945年8月9日

太平洋方面での日本軍の敗北が続出 ついに日本軍が連合軍に無条件降伏する。 各地で武装解除された。 「食料を持って集会所へ向かうように」 と通達があり女、子供は頭を丸げ顔に墨を塗って持てるだけの食料を持って集会所に向かう。 昨年の2月24日ウクライ…

結核 (姉の思い出)

姉は女学校になって満州に来たので 小さい頃の事は知らない。 満洲に来ていきなり3人の妹の姉となった。 3人を呼ぶ時もさん付けではなく呼びすてだったがとてもお姉さんらしい接し方だった。 「高嶺三枝子のようだったよ」という。 結核で細い身体をしてい…

冬の遊び

零下30度にもなる所の子供達の遊びは スケート⛸だった。 夜父親が庭に水を撒くと翌朝にはスケートリンクができていた。 同じように学校でもスケートをしていた。 窓は2重窓になっていて窓と窓の間に カルピスやジュースをボールなどの器に入れ割り箸を突っ込…

日本に置いて来た姉と兄にあう

「今日はね駅まで兄さんと姉さんを迎えにいくよ!」と母がいう。なんの事かわからず駅に行くと2人がいる。 今まで兄や姉が居る事を知らされていなかった。 仕事が落ち着いてから呼び寄せようと両親は思っていた。 兄が小学4年姉が女学校に行く年 「誰が連れ…

ファミリーヒストリー

今から8年前NHKのファミリーヒストリーと言う番組で梅宮辰夫が取り上げられ その時次郎に助けられた人 何人か取り上げられた。彼女の所にも小児伝染病疫痢で助けられた少女(79才)という事で家まで来られた映像が残っていた。 今も変わらずロシア人の様な容貌…

梅宮辰夫の父次郎

7歳の頃梅宮辰夫のお父さん梅宮次郎に命を助けられたお話しです。 次郎は幼い頃から厳しく躾けられ 男の子は強くならなくてはいけないと 父に毎朝裸で頭から冷水を掛けられていた。 3人兄弟の中では我慢強く成績もよかった。 難関の満洲医科大学に入学する。…

毛皮 

毛皮はお金持ちの贅沢なファッションの様に 思われがちだが冬の寒さが零下30度以下になる地域では身を守るため必要だった。 満洲で生活していた頃の毛皮はおそらくキツネだろう。 ラッコの毛皮は人気だった。 柔らかくとてもフカフカしていてずっと触ってい…

当時母が着ていた服 靴

母はオシャレでこの様なチャイナ服や👠ハイヒールを待っていた。 小学校に入った頃 履いてみたいと思って 黙ってお友達の家に遊びに行くとき ヒールを借りていった。 後で見つかってひどくしかられる。 寒い所なので、毛皮のコートも何枚かあった。

開原

当時開原の地図 開原の町は整備されていて 西洋の建物が建っていた。 その当時からトイレは水洗で 家は洒落たドアが付いていて石畳がアーチ状に なっていたのを思い出してスケッチしてくれた。

一時帰国 その2

祖父母の家では毎朝いちごミルクが 出された。 とても美味しかった。 今はハウスもあるので冬に食べる事も多くなったが当時路地栽培では5月だった。 唐津の親類の海の家に連れて行ってもらった時 ゾウリムシが行列をなして柱に登っていって その中の何匹かオ…

母と一時帰国 その1

まだオムツをしている頃母親と2人で一時帰国をしている。 本人は小さくて知らされてなかったが日本に 幼い姉と兄を置いて満州に両親は渡った。 今思えばその子達に会いに行ったのだろう。 仕事が落ち着いたら呼び寄せようという事だったらしい。 その2人が誰…

纒足の靴

当時の記憶のままに纒足の靴のスケッチを書いてくれました。 頭の中はそのままの映像がいまでもおもいだせるそうです。 写真の映像も沢山ありますが 著作権に引っかかってしまいそうなので ここには載せませんが 刺繍がしてありカラフルでとても綺麗です。 …

纒足 その2

三寸金蓮と言う言葉で表されるように 足指を親指を残して折り曲げ3寸(10㎝弱) まで小さくした女性が美しい足とされていた。 20世紀中頃まで行われていた。 歩行困難を強いられる。 女児が4才〜5才になると家で施術する事が多かった。高熱を出したり化膿した…

纒足 (てんそく)その1

「なんであんな恰好して歩くのかな?」 と幼いとき思っていた。 纒足という言葉はきいていたけど 本当に知ったのは五木寛之の小説をよんだ つい最近だと言う。 「城内から街へ出てくるのでしょっ中 みてたよ」 「スマホで調べたら何でもわかるからいいね 私…

山田洋次監督

山田洋次監督も日本が中国に対し支配者の様に振る舞っていたそれを中国人の王希奇さんと言う画家が引き揚げの様子を描き残すと言う事に深く感銘を受けられた。 監督自身も引き揚げ者 その後も学費を稼ぐために働いた。 私の子供の頃汽車にカンカン部隊と呼ば…

「一九四六」展

明日12日から15日まで東京で中国の画家王希奇と言う人の描いた 縦3m横20mの巨大な絵が展示される。 満洲のコロ島から日本人の引き揚げ者を 描いた作品だ。 頭を丸坊主にし男の格好をした女の子も描かれている、この背中に妹をおんぶした姿が当時のhiroだった…

38度線

第2次世界大戦末期にアメリカ軍とソ連軍の 分割占領ラインが作られた。 親戚で小さい頃38度線まで歩いて やっとの思いで越え引き揚げできた者もいた。 両親を亡くし100日も子供だけで歩いてやっと38度線にたどりついた話もあった。 38度線の遮断機の北側はソ…

当時の朝鮮は?

満洲周辺の地図を見るとどこにも朝鮮がない。 Japanと書いてある。 1910年8月22日以降36年間朝鮮半島は日本の植民地下に置かれていた。 叔母さんから送られてきた 明太子 ご主人は当時朝鮮の鉄道に勤めていた。 日本は民衆を弾圧し専制政治をしていた。 農民…

開原 ドアの取っ手

1939年開原に転勤になる。 4歳から10歳の引き揚げまでここで過ごし 色んな事が起きたのも開原。 幼稚園に2年行く。 零下30度になる所。 ある日真鍮で出来たドアの取っ手と目が合った。寒さで真っ白になっていた。 ちょうど自分のベロの形をしている。試しに…

賃金差

当時日本女性は本土で働こうと思っても 今の様に職に就く事も難しいし賃金も低くかった。 そこで日本の3倍もらえると満洲行きを決めて渡った人もいる。 つい最近まで日本の介護職者が足りないからとアジアから研修生を招いている話を聞いていた。 昨日のニュ…

佳木斯と言う都市は?

中国の最東部にあり 中国で最も早く日が昇る所として知られ「東方第一城」の称がある。 穀倉地帯の拠点また沿海地方のソ連事に対する将来の戦争の際の防衛.侵略の拠点として重要とみなされ軍用の鉄道などが整備されていた。 後の話になるがまさかの満洲から…

佳木斯 チャムス

1937年 奉天からチャムスに満鉄病院の院長として転勤する。 満洲の最東部で何もない所と聞いて奉天で ビスコ グリコ ビスケット ウエファース ラスクなど買い込み家具の上の方に置いてあった。 そこには2年くらい滞在した。 まだ3歳から4歳の記憶だけれど85…

奉天

1931年9月18日中国東北部奉天近くで南満洲鉄道の線路が爆発され満州事変のきっかけとなる。 奉天の町は城内と呼ばれる城壁に囲まれ旧市街地を中心に城壁を囲むように中国人が住む新市街地が広がっていた。 大通りは香港上海銀行やニューヨークナショナルシテ…

満洲国とは

世界大百科事典を参考にすると 日本が満洲事変によって作り上げた傀儡国 (傀儡政権とはある領域を統治し名目上は独立しているが実際は事実上の支配者である外部の国家によって統治されている。 英語ではpuppet state と言うらしいこの方がイメージが湧く) 19…

1935年

両親は1934年奉天に渡り翌年1935年 従姉妹のhiroを出産する。 先日テレビで小澤征爾の中国訪問のドキュメンタリーをやっていて「1935年奉天生まれ」と聞いて同じ年に奉天で生まれたんだとビックリした。 その後彼は北京に移る。 日華事変が太平洋戦争の一環…

叔父の戦死

この俳句をしたためた日記から後 軍医になり結婚し 戦争で海軍に入り乗っていた船が撃沈され 幼な子を残し戦死している。 たった8年の間に希望に胸を膨らませていた彼の身に起きた事はあまりも大きすぎる。 先日この日記を 残された一人娘の手元に届ける事が…

  満州への憧れ 叔父の日記から

両親が満州に行く事になった時 hiroの母の弟は20歳だった。 医学生だった頃結核で療養している心境を 日記に書いてあるのが見つかった。 満州 満洲 あの満洲の荒漠たる大平原の中に 一人立つの日ぞ待たる! 雪の荒野よ、町の灯よ。 一望千里、目をさえぎるも…

満州行きを決心する両親

1934年2人の幼な子を実家に預け 満鉄病院の医院長として満州に行く決心をする。 まだ見ぬ国がどんな所かわからず落ち着いたら子供を呼び寄せようと思ったに違いない。 その後満州で主人公の従姉妹hiroは生まれるのだが ずっと一人っ子と思っていたという。 1…

五・一五 事件

満州国建国と同じ頃 1932年5月15日 海軍青年将校達が内閣総理大臣官邸に乱入し 内閣総理大臣犬養毅を殺害いした。 首相の側でいつも働いていた家政婦のおばさん あささんの肉声のテープを聞いた。 カモシカみたいに軍靴のまま上がり込んできた。「総理はどこ…

満州国建国

1932年3月 日本の3倍の広大な地に新しい国を作るという壮大な計画だった。 ラストエンペラーで知られる溥儀が満洲国の皇帝となる。 建国の目的は満洲を日本の総力戦準備の為の軍需資源の供給地とし対ソ戦に備えた戦略基地とすることだった。 当時の日本は世…