満洲日記

今年88歳になる従姉妹の満洲で生まれ引き揚げて来るまでの記録です。

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

結核 (姉の思い出)

姉は女学校になって満州に来たので 小さい頃の事は知らない。 満洲に来ていきなり3人の妹の姉となった。 3人を呼ぶ時もさん付けではなく呼びすてだったがとてもお姉さんらしい接し方だった。 「高嶺三枝子のようだったよ」という。 結核で細い身体をしてい…

冬の遊び

零下30度にもなる所の子供達の遊びは スケート⛸だった。 夜父親が庭に水を撒くと翌朝にはスケートリンクができていた。 同じように学校でもスケートをしていた。 窓は2重窓になっていて窓と窓の間に カルピスやジュースをボールなどの器に入れ割り箸を突っ込…

日本に置いて来た姉と兄にあう

「今日はね駅まで兄さんと姉さんを迎えにいくよ!」と母がいう。なんの事かわからず駅に行くと2人がいる。 今まで兄や姉が居る事を知らされていなかった。 仕事が落ち着いてから呼び寄せようと両親は思っていた。 兄が小学4年姉が女学校に行く年 「誰が連れ…

ファミリーヒストリー

今から8年前NHKのファミリーヒストリーと言う番組で梅宮辰夫が取り上げられ その時次郎に助けられた人 何人か取り上げられた。彼女の所にも小児伝染病疫痢で助けられた少女(79才)という事で家まで来られた映像が残っていた。 今も変わらずロシア人の様な容貌…

梅宮辰夫の父次郎

7歳の頃梅宮辰夫のお父さん梅宮次郎に命を助けられたお話しです。 次郎は幼い頃から厳しく躾けられ 男の子は強くならなくてはいけないと 父に毎朝裸で頭から冷水を掛けられていた。 3人兄弟の中では我慢強く成績もよかった。 難関の満洲医科大学に入学する。…

毛皮 

毛皮はお金持ちの贅沢なファッションの様に 思われがちだが冬の寒さが零下30度以下になる地域では身を守るため必要だった。 満洲で生活していた頃の毛皮はおそらくキツネだろう。 ラッコの毛皮は人気だった。 柔らかくとてもフカフカしていてずっと触ってい…

当時母が着ていた服 靴

母はオシャレでこの様なチャイナ服や👠ハイヒールを待っていた。 小学校に入った頃 履いてみたいと思って 黙ってお友達の家に遊びに行くとき ヒールを借りていった。 後で見つかってひどくしかられる。 寒い所なので、毛皮のコートも何枚かあった。

開原

当時開原の地図 開原の町は整備されていて 西洋の建物が建っていた。 その当時からトイレは水洗で 家は洒落たドアが付いていて石畳がアーチ状に なっていたのを思い出してスケッチしてくれた。

一時帰国 その2

祖父母の家では毎朝いちごミルクが 出された。 とても美味しかった。 今はハウスもあるので冬に食べる事も多くなったが当時路地栽培では5月だった。 唐津の親類の海の家に連れて行ってもらった時 ゾウリムシが行列をなして柱に登っていって その中の何匹かオ…

母と一時帰国 その1

まだオムツをしている頃母親と2人で一時帰国をしている。 本人は小さくて知らされてなかったが日本に 幼い姉と兄を置いて満州に両親は渡った。 今思えばその子達に会いに行ったのだろう。 仕事が落ち着いたら呼び寄せようという事だったらしい。 その2人が誰…