満洲日記

今年88歳になる従姉妹の満洲で生まれ引き揚げて来るまでの記録です。

結核 (姉の思い出)

姉は女学校になって満州に来たので

小さい頃の事は知らない。

満洲に来ていきなり3人の妹の姉となった。

3人を呼ぶ時もさん付けではなく呼びすてだったがとてもお姉さんらしい接し方だった。

「高嶺三枝子のようだったよ」という。

結核で細い身体をしていたが器用で10センチくらいのお人形を布で作ってリリアンで編んだ靴を履かせていた。今でもあるらしい。

引き揚げる時水筒1個しか持てないような

身体になっていて引き揚げて間もなくなくなった。栄養失調だった。

亡くなる前牛乳を急須に入れて運ぶのが自分の仕事だった。運び終える前に半分は自分の口に入っていた。と悔やんだが母は「当時誰でもお腹すいていたから仕方なかったね。」と許してくれた。

終戦後BCGなどワクチンができ栄養状態もよくなってきて少なくなったがそれまでは国民病と言われていた。

現在では、極度のダイエットの為なる人がいるそうで要注意❗️