hiroと梅宮辰夫は2歳違いでお姉さんだった。
毎朝集団登園で辰夫の手を引いて幼稚園に行っていた。
その父次郎のところに今度は八路軍がやってきた。蒋介石率いる国民党との内戦に備えて
日本人医師を集めていた。
柳澤青年は「先生は命の恩人 家族は私がお守りします。」と言った。
20年12月西豊という所に行く事になっていた。
「私は必ず途中列車から飛び降り奉天に向かう
家族をそこまで連れてきてくれないか。」
と頼む。
次郎は隙を見て列車から飛び降り100キロ離れた奉天の知人宅に匿われた。
21年3月柳澤は、乳飲子を含め5人の子を率い
辰夫の手を引いて次郎の妻敏子を支え途中何度も列車を乗り継ぎ
2日掛けて奉天へいった。
そこで次郎と再会する事ができた。
それから2ヶ月後 葫蘆島から信濃丸で日本へ帰るが乗船する時全ての荷物は没収
多くの伝染病患者が出たが薬もなく
なす術がなかった。
「ボーッ」と汽笛がなると甲板から棺がおろされた。
助かる命も助ける事ができず無念だった。
次郎は私の満洲での日々は何だったのだろうかと思った。