満洲日記

今年88歳になる従姉妹の満洲で生まれ引き揚げて来るまでの記録です。

藤原正彦氏の体験から その1

満洲国の首都新京(春ピン)に住んでいた。S18年生まれ 当時2歳

満洲時代本土にいる人よりは恵まれた生活をしていた。がS20年8月9日「10日の午前1時半までに駅に集合せよ」と司令がでた。

それまでラジオでは「治安は維持されている…というニュースが流れラジオの言う事は国の指示と思い込んでいた。

とんでもなかった❗️

1日前の午前0時に突然国境近くのソ連兵が侵略してきたのだった。

着の身着のままできるだけの荷物を持って駅へ行く。

僅か数時間で世界が一変してしまった。

新京はまだマシでソ連国境にいた開拓団は大変で虐殺や集団自決もあった。

満洲からの引き上げの多くは葫蘆島から

船に乗って帰った。

38度線を越えて帰った人はみな長い難民生活をして生き残った。

hiroの義姉もそうだったが書いた物は無いし本人の口から詳しいことは聞けなかった。同じ様な体験をしたに違いない。

藤原正彦氏の母藤原ていさんは

流れる星は生きている」と言う体験を書かれているが父新田次郎は書いていない。生きて祖国まで帰って来た者の負目がどこかにあるのではという。